芬陀利華1号
   はじめに 

 今この本を手にされている方は、恐らく私、角豊光もしくは角早予子と、なんらかの縁を以て出会われた方ばかりだと思います。また、突然このようなものが届けられてさぞや驚かれていると思われますが、実はこれは私なりの宗教活動の第一歩なのです。
 平成八年の春に時宗総本山遊行寺での修行を終えた私、角豊光は、その後寺へは入らずに他の職業を生業として今生活しております。が、一旦僧侶となりましたからには、やはり自利と共に利他の行いも必要とされており、また私もその必要を感じています。しかし、現在の私には法を説く力など全くありません。自分自身がどこへ行くのか、どうするのかといった問題に頭を悩ませている有様なのです。そこで私は考えました。
 振り返って見ると私の人生は、仏教に逢い僧侶を目指すべく決められていたように思います。ですから、そんな人生を少しづつ切り取って、物語にしてみようと考えました。そこで色んなことを提供し、皆さんと共に進んで行けたらと考えたのです。

 表紙にもありますように、この本を出す目的は私が極楽に行く事であり、また少しでも多くの方に極楽に行くことを勧めることであります。まあ、極楽でなくても薬師佛の浄瑠璃浄土でもお釈迦様の無勝世界でもよろしいのでしょうが、私は自分の行く先を極楽浄土と決めているものですから、皆様にも極楽往生をお勧めしようと考えている次第です。

 私の力が非力なものですから、いろんな方の力を借りて、見切り発車のような形で出発いたします。が、私はいろんな方に私を知って頂き、そしてまたこの先進んで行く様を見ていただきたいと思っております。云うならば、私自身を実験台にして、極楽往生をお勧めしようという試みです。その結果、
万が一にも私が極楽に徃くことが出来れば本望ですし、一人でも多くの方に極楽に行って頂くことを願って止みません。
 恐らく一生涯未熟な念仏者であり続けるであろうと思われますが、僧侶として、身を以て極楽往生の方向を示せれば、それが未熟なりにも、今の私にできる唯一の「法を説く」行為だと思っております。
 このような押し売り同様のものを送り付けられて迷惑な方もありましょうが、どうか少しだけ御辛抱頂いて読んで頂ければ、私の目指すところも理解していただけると信じてお送りいたします。
 またこの本には私の詩やその他の友人・知人にお願いした文章を掲載してあります。私自身の非力をカモフラージュする意味でもありますが、それ等の文章だけでも一見の価値のあるものだと思います。是非お読み下さって感想などお聞かせ下さい。
 未熟であり続ける宗教者の、唯一なすことのできる宗教活動です。どうか末長いお付き合いをお願いいたします。


                            



    詩・2編
    

      詩  ーいちー


   西方に 阿弥陀佛の浄土(クニ)がある

   そう信じ 行方無くした人がいた

   人生の 全てを捧げ

   歩き続けた 人がいた

  

   幸せの 物に恵まれ

   幸福を 何物かに委ね

   人生を 秤にかけて

   笑う人たちの中に

   今 私は生きている

  

   酒を飲み 

   喰らい 

   人生は 謳歌されるものとして

   そこにあった

                            

   寂しさは 埋められるものとして       

   楽しみは 喜ばれるものとして   

   ただ そこにある 

   人生は楽しむために

   人生は金を得て

   何物かになるために     

   ただ そこにある      

                 

   西方に浄土があると     

   聞いた人があった      

   浄土とは          

   幸せのくにと        

   迷いの無いくにと      

   聞いただけだった      

   けれども 彼は       

   人生の総てと引き換えに   

   浄土に生まれることを    

   ひたすらに恋い願った    

   彼は太陽を追い       

   無の世界へ往った      

                 

   私は この世界に      

   身を沈ませ         

   遠く西方へ向かった
   彼の人たちに
   いいようのない
   羨望を感じながら  

   酒を 飲んでいる  

   日々を空しく送っている

   淋しい 人間である  

                             

     詩   ーにー

 

  たくさんの 人が 

  たくさんの 想いを                    

  胸に抱いて 生きている

  正しいと 想い  揺るぎなく 想い 

  明日を 信じて  生きている 
              

  死ぬことも 生きることも

  みんな いっしょくたなんだと      

  言葉にならぬ 声をあげる僕              

                             

  与えられて 生かされていることに           

  なぜ 疑問を 抱かない                 

  なぜ 心を 砕かない

                     

  恵まれて 恵まれて                

  生かされて きたことに 

  なぜ 気づこうとしないのか 

  罪人は 僕である 貴方である

  全てである

  今 貴方が 全てを無くしたら    

  目に見える 物もある          

  耳に聞こえる こともある         

                       

  正しさを 力として振りかざす 悲しさを 

  貴方は 知っているか        

  物言わぬ 力 無き           

  人の声が 聞こえるか          

                       

  言葉なき 人の やさしさ        

  苦しみの 人の せつなさ        

  

  貴方は 正しく             

  貴方は まどわず            

  きっと 貴方は             

  南無阿弥陀仏の門の中にいる       

  南無阿弥陀仏の手の中にいる       

                       

  貴方の手は               

  血では 汚れない            

  

  南無阿弥陀仏                

  

  南無阿弥陀仏              

                      

  いまだ足りぬ人々は
  その 門の前で
  うずくまる          

  その 門の前で
  うずくまる
   
           

   
葬式無用論者に一言

                  

 テレビでよく超能力が紹介されますが、私にも多少そんな経験がありますので、興味を持って見る事がよく有ります。然し、私自身の体験と照らし合わせて、その中には信用出来る場合も有りますが、中にはいかがわしいのも有るように思います。然し、超能力(私は此の表現は余り好きではありませんが)は決して迷信ではありません。

私が現在の寺に住職しましたのは、昭和廿三年、数え年の廿九才の夏でした。其の秋、某檀家の亡父の卅三回忌法要がございました。入山して始めての法要でしたので、印象も深いのでありますが、本堂で法要を営み、続いて墓前での墓回向を致しました。その墓回向を致して居ります時に、お墓の側に、一人の精霊が現われたのです。

私の経験から申しますと、精霊は死の直前の姿で現れます。従って、精霊は彼の世では年をとらないという事です。

回向を済ませましてお施主さんに、

「今日のホトケ様は、お顔は卵形の、やゝデップリとした、頭は丸刈り、多少ゴマシオで、お酒の好きそうな、正直な方でしょうが多少気むずかしいような、そして平素は大体和服を着ていられた方ではございませんか」
と、見たまゝを申しますと、お施主さんは言下に、

「和尚さんは何でうちのオヤジを知っているんですか」と、言いました。

「いや、知っている訳はありません。私はつい最近此の寺へ来たところですし、貴方にお逢いするのも今日が始めてでしょう。

つい最近、兼務されていた方に案内して頂いて、一通り檀家様へ御挨拶には廻りましたが、その時貴方様はお勤めでお留守でございました。ですから貴方とお逢いするのも今日が始めてです。

そして、今日のお勤めは卅三回忌です。私は今年廿九才です。ですから、貴方の御尊父は私の生れる四年前に亡くなられている筈です。」と申しますと、

「それでは何で分かったのですか?」、と申しましたから、

「今お墓の側に立っています」、と云いました。

 すると檀家さんは、 「そうしますとやっぱり霊魂は有るのですか」と言いますから、

「貴方は霊魂がないと思い乍ら今日法事を営んだのですか。こうした法事というものは、霊魂が有るからこそ行うものです。

彼の世が無いものなら法事等行う必要はありません。 お葬式の時によく『謹んで御冥福をお祈り致します』という弔電がございますが、その冥福の為に行うものなのです。

冥福と申しますのは、『冥土の幸福』、つまり、後の世の仕合せ、という意味です。そして、こうした法事は冥福を祈る実践行です。若し彼の世が無いならば、こうした言葉も実践も、総て絵空事、という事になります。

法事は、先祖からのしきたりとか、自分の気休めとか、親類のおつき合い、といった意味などで行うものでは更々ありません。ひたすら冥福を祈る為に行うものですよ」、と云った事がございます。

テレビ等で、有名な方の死亡が報ぜられる事がしばしばございますが、時として、

「自分が死んでも葬式は無用にして欲しい」、という遺言される方がございます。有名人ですからマスコミが取り上げて私共にもわかる訳ですが、恐らく、一般の方々の中にもそうした方が有るのではないかと思います。

  然しこれは、大間違いをしているのでありまして、そうした方々は先ずは後の世の存在というものを全く信じていない、という事と、も一つの理由としては、お経の功徳を信じていないという事かと思います。こんな実例もございます。

  或るお客様が或る相談にみえられ、向かい合ってお話していますと、その方の背後に一人の男の子の霊が立ちました。七、八才位の、明治の終り頃か大正の始め頃に亡くなっているように思えたのです。

そして問題は、恐らくその精霊は全く忘れ去られている感じのする事です。つまり、お経を全く戴いていない精霊であろう、という事です。

この方は知っている方ではありますが、当山の檀家さんではございませんので、其の方の御家族とか家庭事情については全く知りません。

此の「何も知らない」という事が大切で、つまり、私には何の先入観も予備知識も無い、という事を申しているのです。

其の精霊の見た所を先の例のように申しますと其の方は、

「私は古い先祖様のことは解かりませんので、帰って主人にきいてみます」、と言って帰られました。

 後日御主人と二人で見えましてその御主人が、

 「それは私の父の兄弟ではないかと思います。私の父は男ばかりの三人兄弟で父は一番末ですが、相当の年で死にましたし、長男の伯父も年をとって他界しましたが、中の伯父に当る兄弟が子供の頃に死んだという事を昔、聞いた記憶がございます。本家へ行けばはっきり致しますが、それがどうか致しましたか」、と云われましたので、 「若し解りましたら御本家様が責任者ですから、御本家さまに其の精霊の法事を行って頂くように御進言なさっては如何ですか」と、いう事で別れました。

  後日奥さんがまた来られまして、

 「本家に訊ねますと、矢張りございました。

明治四十三年に池で溺れて死んだという事が過去帳に書いてございまして、年も云われました様に七歳で、名は太郎(假名)とありました。ところが御回向をして頂くように申しましたところ、伯父の奥さんが老令で存命しているのですがその方が、『本家の事迄干渉しなさんな』と言って御機嫌が良くありませんでしたから、きっと廻向はしないと思います」と云われましたので、
「それなら、貴女方御夫婦で本家のお寺へ行って、『家のホトケさんではございませんが……』と、そこは何とでも言って少し丁寧に御回向して頂きなさい。廻向は、百パーセント死者の冥福の為にする訳ですが、ですから、おつとめした功徳は百パーセント死者の為に届く筈ですが、お経には、廻向の功徳の七分の一が死者に届き、残りの七分の六は、『施主自ら是れを受く』といって、営んだお施主様の方が多く受ける事が説かれております。そういう事でもありますから、そうなさっては如何ですか」、と申しました。

  三月程過ぎてその奥さまがまた見えられましてこう言いました。

「和尚さんの言われました通り主人と二人であれから早速本家のお寺で御廻向して頂きました。そして、此の間里に用事が出来まして帰りましたところ、丁度母独りがお祭りしてある神様の前でお勤めして居りまして、私はその邪魔をしないつもりで、黙って母のうしろでお勤めの終るのを待っておりました。すると母が突然私の方に向き直って、男の子供の声になって、『オバチャン、オバチャン』、と云い出しました。

私は、母のこうした場面を度々見て居りますので、
『あ、これは母に誰かが憑いたのだナ』と思いましたので、

『あなたは誰ですか』と訊ねますと、

『僕、太郎、僕、太郎。僕は良い所へ行きたいのだけど、お経をもらえないので良い所へは行けなかった。何とかして、行き度い行き度いと思ってオバチャンについてたら、オバチャンが勤めて呉たので、僕はお蔭で良い所へ行けました。今日はひとこと、お礼を云いに来たのです。』、と言いました」、と、その報告に来て呉たのです。

 お経をもらえないから良い所へ行けなかったが、お経を頂いたので良い所へ行けた、という、此の事であります。こうした事実に付いて全く知っていないから、お葬式はいらない、などという事を云うのでしょう。尤も、そうした風潮の一端の責任は私共僧侶にも有るとは思います。ですから、此の私の体験談をお読みくださった方々は、御自分は勿論、御家族の方々、或いは知人の方々に此のお話をして頂いて、決して、「自分が死んでもお葬式は無用」などという事にはならないようにして頂き度いと思います。

  亡き御先祖様の事もさり乍ら、自分々々の後生の事も亦大切な事でございます。彼の世という所は、生前の善悪の行いに依って往く所が違います。良い行いの多い人はより良い世界へ、反対の人は苦しい世界へ行く事になって居ります。この世だけが人生の全てだと思っていては大間違いです。

此の世は、永遠の人生(人生は実に永遠なのです)の中のホンの一つのプロセス(過程)に過ぎません。そのホンの一部分の人生の為に、永遠の人生を誤ってはならないと思います…………

 

  経に曰く

   

水渟(シブキ)微なりと雖も漸く大器に満つ、

小悪と軽んじて以て罪無しとすること勿れ

死後に必ず報い有り。

 

    ◇◆◇◆ 作者紹介 ◇◆◇◆

 

 木村 真証(きむらしんしょう)

聞名寺(京都市左京区東大路二条下ル)住職

大正九年生れ 七十七歳

聞名寺にて毎月定例の仏教研究会を開催

     (平成19年に亡くなられました)

           


   和尚様との最初の出会い         

  それは40燭位の暗い裸電球のともる玄関脇の部屋で、色のあちこちはげた赤い丸のちゃぶ台をはさんで、私は聞名寺の住職と向かい合って座っていた。勿論初対面、昭和38年四月の初旬のある日だった。当時私は一寸した事情で、どうしても京都に任む必要があったのに、住むところが見つからず、やむなく聞名寺に一時的に借りて住まわせてもらうことになったのである。その最初の出会いの晩である。

 どうして聞名寺だったのかと言えば、私が当時在学していた大学の教務課長さん奥さんと聞名寺の住職の奥さんとが姉妹で、その縁で宿なしになる寸前の私に救いの手を差し伸べて下さったというわけである。この住職のことは何人かの人からうわさを聞いていた。「お顔がお地蔵さまそっくり」「霊がが見える方で、誰々はこんな人が傍らにいると言われた」「全然欲のない方で、住職になったとき、境内にあった借家の家賃を下げはった」だから「片山さん、いっぺんこの人にあうてみよし」と言われていたのが、思わぬ苦境の縁で、お目にかかれることになったのである。

 初対面につきものの一寸した挨拶がすむと、住職はーーもう和尚様と言わせていただくがーー「片山さんは、何の勉強をしておられるんですかJと開かれた。私が歴史の勉強をしています。それも西洋の歴史です」と答えると、和尚様は一言、「片山さん、歴史では人間救われませんよ」。 私、「?! 救われる?」正直言って、この一言がこれ以後の私の人生を変えてしまったと言ってよい。私は当時、大学院で西洋史を専攻していて、その課程が-応終わったので、高野山大学へ非常勤許帝としてではあったが、西洋史を教えに行くことになっていた。それが「歴史では人間救われませんよ」だって! だからといって、そんな! と反発したわけではなくて、ああ、

そうか、人間は救われないといけない存在なんだなと、私は深く納得したのである。この後、親しくつきあうようになった友人が、時々思い出したように同じことを言って笑わせるのだけれど、「片山さん、最初会ったとき、ルネサンス、ルネサンス(これが私の西洋史研究の課題だった)言う顔しでたけれど、だんだん仏教、仏教いう顔

になって行ったよ」。

 この続きに和尚様は、「片山さんのお父さんは呑気そうな人ですな」と言われた。

「呑気そうだなんて...それはそうかもしれないけれど」と、心に思いつつ「あの-、父はもう死んでいるんですけど‥」とおそるおそる聞くと、「ああ、そうでしょう」「 どうしてわかるんですか?」 「そこにいてはりますよ」 「??!!」 ああ、友人があそこの住職は霊が見えると言っていたのはこのことかと納得した。それで聞いてみた、「あの一父は頭がはげているんですけど」 「え-そうですね。でも周りには髪の毛がありますよ」と、手で頭の周りを示された。 ”その通り” 父はてっぺんが禿げていて、横というか周りにはまあまあの髪の毛があった。こうなると、私は結構疑い深いので、聞いてみた。「私の従兄弟がもう死んでいるんですけどもわかります?」 和尚様は、しばし瞑目され、ややあって、「この方は美男子ですな-」 ”その通り、当たり!” 「色が白くて、鼻筋がす-つと通っていて、髪の毛をこう七三に分けて--」 “その通り” 「昔の書生さんの着ていたような、絣の着物着て」 “当たり!”  それは従兄弟のおきまりの姿だった。

 その次に和尚様は「一人、2-3歳くらいの男の子がいますね。心当たりありますか?」 私ほ一人っ子だし、確かに姉がいたらしいけれど、それも私の生まれたときには死んでしまっていたので、顔も知らない。男の子なんて、全然記憶にないし、第一戸籍は父母と死んだ姉と次女の私だけである。 「父方の叔父が広島にいたんですけど、5-6歳の男の子を亡くしたのは知ってますがーー」  「いや-そんな大きな男の子と違いますな。頭の格好(頭蓋骨の形ということかしら?)が、お父さんに似ているから、-度誰かに聞いてご覧なさい」

 次の日、気になるので実家へ帰り、母にこのことを尋ねたが、母も心当たりがないと言う。それで近所に住んでいた叔父のところへ、そんな子供を知らないか尋ねに行ってくれたらしい。でもその時は肝心の叔父が留守で、義理の叔母に尋ねたけれど、知らないと言われたと言って帰ってきた。ところが夜遅くなってから、話を聞いたという叔父が、それこそ血相変えて怒鳴り込んできた「一体誰がそんなこと言うたんや」 なにも叔父が怒ることないと思ったけれど、何しろえらい剣幕なので、京都の寺のお坊さんが、子供の霊が見える、その子の頭の形が父に似てると言われたので、叔父なら知ってるかもしれないと思って尋ねただけだと弁明した。それでも叔父はぷりぷりしながら帰っていった。なにを怒っているのやらさっぱりわからない。

 翌朝、母が深刻な顔をして、「昨日言ってた男の子、ひょつとしたらあの子やないかと思う」と話しかけてきた。聞いてみると、母と結婚する以前から、父には好きな人がいて付き合っていたという。ただ事情あって親が許さなかったらしい。そのうち女性が妊娠したのがわかったかららしいが、太急ぎで嫁を探し求め、その内決まったのが母だった。だから家の二階で婚礼の宴会をしているとき、下の一階ではこの女性が乳呑み子を抱いて座っていたという。何という話だろ。でも親戚一同は、このことを母には一言も話さなかったらしい。ただ母が嫁入りしてきてから23年たったある日、しうとめが小さい位牌を手にして、「これ親戚の子なんやけど、身寄りがないのでうちでまっったてな」と言ったという。そのことを母が思いだしたのである。父は長男だったので、私も覚えているが畳一畳分くらいの大きな仏壇があった。その仏壇の片隅に小さい位牌がおかれていたらしい。しかし神戸大空襲で勿論家は焼け、仏壇もなくなった。記憶にあった限りでの先祖の名は、過去帳に記載され直したけれど、この小さい男の子の位牌のことは、誰も思い出さなかった。当然回向する人もいなかった。霊が寂しそうな雰囲気で現れるときは、たいてい供養が足りませんねと和尚様は言われるが、この子についてもその時供養が足りないと言う意味のことを言われた記憶がある。
 実はこれには後日談がある。この叔父が何年か前になくなった。そのお通夜の晩のことである。私は例の男の子の話を持ち出して、叔父が怒って怒鳴り込んできた話をした。すると、そこにいた親戚の叔母たちが「ごめんね、佳子ちゃん。みんなで黙っておこうということにしたの」と言ったものである。すると、親戚はみんなこの男の子のことを知っていたのに、知らぬふりをしていたということがわかったのである。

 私はその供養を和尚様にお願いする前に、高野山の天徳院の住職に話をした。先述のように、高野山大学へ非常勤で週2回出校するのに、どうしても山内に1泊する必要があり、その宿を引き受けて下さったのが、当時の天徳院の住職伊藤真城師だったからである。一通り私の話を聞かれた師は、「先生、世の中にはこういうことはよくあるんですよ。」と、不審なことは何一つおっしやらず、「春夢嬰児」と名を付けて、回向して下さった。以来その名で、供養を続けている。その時私には、血を分けた兄弟がいるとか、そういう思いは全然なく、ああそういう人もいたのだな-と、-寸不思議な気がしたものである。

 でもこのように和尚様に言われたことについて、言ってみると裏がとれ、私は死後生を確信するようになった。和尚様と出会って34年、私はこのご縁を本当にありがたいことと思っている。和尚様は以来ずっと私の仏道の師匠である。

 

    ◇◆◇◆作者紹介◇◆◇◆

      片山 佳子(かたやま よしこ)

       園田女子大学

       国際文化学部(文化学部)

        教授   (平成9年当時)


                      

 
            

芬陀利華・・・フンダリケ

  プンダリーカ

  【(梵語)pundarikaの音写】

   白蓮華と訳し、百葉花、人中妙好華ともいう。
蓮華のこと。

 

 蓮華(特に白蓮華)は、泥中に生じて清浄な花を咲かせ、又仏菩薩も座する席として蓮華は用いられる。

 私たちが念仏により往生するとき、阿弥陀様や
種々の聖衆の方々がお迎えに来られ(来迎)、
蓮華の台に乗って極楽へ向かいます。
そして、極楽でもまた蓮華の中に生れるのです。

 蓮華は、泥にも染まぬ美しさを持ちますが、
私たちも煩悩に汚されないで、
ひたすら清らかを求めて生きて、
極楽の蓮の花の上へ生れたいものです。

 
  『家族』 ー 柳茂家の不条理劇 ー    

            序章

 

-「三十八才という地点」-

 平成九年一月、僕は長く放ったらかしにしていた歯の治療に平和町の木村歯科へ通い始めた。去年、野田町から十一屋町に引越して、僧籍をとった友人の手助けで実父の三十三回忌を果たしたばかりだった。そして僕は三十八才になっていた。それは妙に不思議な年令だ。実父が死んだのがその年令だし、その四年後に母が再婚した相手も三十八才だった。義父は実父より四才年下だったというわけだ。そして昔からある木村歯科は僕と同じ年の息子が跡を継いでいた。そのすぐ向かいに中山医院がある。新築した木村歯科の二階の診察室で、僕は涙の滲む歯の治療を受けつつ、窓から目に飛び込む全く昔の建物のままの中山医院を眺めているのだ。大きな黒い屋根瓦が雪で半分は覆われている。

 

 昭和四十二年、小学三年の僕は当時平和町の家からすぐ近いその中山医院に入院していた。胆嚢炎だった。もう三十年近く前のことだ。当時の家は元兵舎をそのまま外地引揚者用に使った古い木造アパートだった。大工をしていた実父は、昭和三十八年に交通事故死している。酒を呑んで道路工事の穴にバイクで落ちたのだ。そして三十一才の母と八才の姉と五才の僕の三人は母子家庭になった。昭和四十二年は、母子家庭四年後のことだった。

 

 -僕にとって柳茂家がスタートした原点のシーンがある。

 

 《場面1・中山医院》

         中山医院にやってくる母と姉、そして柳茂(三十八才)。

         〈昭和四十二年・冬〉

         一人ベッドでプラモデルを弄んでいる小学三年の僕、ノックの音に振り返る。

         ドアが開き、顔を覗かせる母(三十五才)。

母 フユキ、新しいお父さんだよ(笑顔で)。

柳 君がフユキ君か? 

僕 …(驚き)。

母 すぐには「お父さん」って、呼ばなくてもいいよ。

僕 …(顔をしかめる)。

柳 勉強は何が好きなんだ?

僕 べつになにも…。

母 プラモデル作る方が好きやね?

僕 …うん。

柳 そうか、次に来る時は買ってきてやる。

僕 …(戸惑い)。

 

 その時、小学六年だった姉は緊張した感じで黙っていた。家で前もって母から話は聞いていたにしても、急なことには違いない。僕にしても、母から「あした、新しいお父さん連れてくるけどいいかね」ぐらいは言われていただろう。だが三ヶ月ほどの入院中に、病院のベッドで初対面というのは驚きであり複雑な感情であった。

 

 僕が綴ろうとしているのは北陸のK市という閉鎖的な街で、特異な状況に翻弄された或る家族の不条理劇の記録だ。しかし、それは家族とさえ呼べないのかもしれない。柳茂家というものが存在したのは、昭和四十二年から四十八年までのほんの六年間でしかない。その後、砕け散るように崩壊した。家族はK市にいられない事件もあって、遠い南の沖縄へ移った。そして翌年、僕が中学三年の時に家族は泡と消えた。それぞれ四人の姓が徐々に違っていき、もはや柳茂を中心とした家族は跡形もなく消滅しているのである。

 昭和四十二年のあの場面から僅か六年後のことに過ぎない。果たして本当にほんの六年間のことだったのだろうか?  信じられない…。僕にとって九才から十五才まで、姉にとっては十二才から十八才のことだ。その間に放浪するように柳家は住居を転々とし、僕は二年間で小学校を三つ行き、中学校も北陸で三回、沖縄でも三回転校した。あれらは普通の六年ではない。神経がいつもピリピリする針の筵にいた長い長い年月であった。

 僕は全くの思春期だったが、内的変動など全く問題にならないドラマ以上の外的な激動に踊らされたわけである。北陸でも沖縄でも一度ずつ義父と母は別れてはまた一緒になっている。二度とも僕が義父を呼び寄せる結果になったことを覚えている。その間に北陸から沖縄へ転地したカルチャーショックもあった。特異な状況といって良い。多くの日々は極めて貧乏だった。両親はよく辛辣な喧嘩を繰り返していた。ブロック工として腕はいいが仕事に支障をきたすほどの酒呑みの義父と、気性は激しいがそれを結果的には容認してしまう愚かな母、子供らにはひどい環境だった。僕は不良になるかグレても何の不思議はなかった。でも施設とか親戚の家とかで肩身の狭い生き方をするより、両親の愛憎劇を観ながらの貧困生活は貴重な人生経験だったと今は思っている。小学校からの新聞配達の経験は、高卒後の東京での新聞奨学生に役立った。その後に大学や看護学校など、自分の家庭を持ちながら勤労学生をする性根を僕に植えつけてくれた。どんな状況であっても、どんな環境であっても、どんな回り道をしたとしても、人は縁に支えられ与えられた固有の生き方をするものだと僕は確信するようになった。

 

 -ところで義父・柳茂自身の記憶は、家族が崩壊する直前の地点で永久に停止し続

  けている。

 

 今から七年前の平成二年、僕は六才の長男と二人で、沖縄の或る病院にいる義父を訪ねた。職場の知人を通して、面会の許可を得ることができたのだ。僕は自分の家族を伴って沖縄を長く離れることが決定していた。それで、この際義父に僕の息子を見せておかねばもう二度と会わせることがないと思われたのだ。

 

 《場面2・或る病院》

         老朽化した大きな病院、迷路のような建物の廊下を歩く僕と息子。

         壁の案内板に気づき、僕は立ち止まる。文字がかすれ読みにくい。

息子 ここにおじいちゃんがいるの?

僕 いるよ。父ちゃんの知り合いの友達がここにいるんだ。

息子 入院してるの? 病気?

僕 その人は働いている。おじいちゃんは病気だ。

         近くの階段を昇り、頑丈な防火戸の横のインターフォンを押す。

         ガチャリと小窓が開き老年女性の職員が顔を出す。

僕 あの…、柳茂に面会したいのですが。

職員 あー、聞いてますよ(にこりと笑顔)。

         重そうな防火戸が開き、中に入る僕と息子。

         ごく普通の病院と変わらないナースセンターは電灯が煌々と輝き、カルテに何か記載している若い四~五人の男女職員が、ちらりと僕たちの方を見る。

職員 Nさんは元気でお仕事してるの?

僕 ああ、あなたがお友達ですか…。とっても元気です。仕事もバリバリしてますよ。
職員 義理のお父さんでしょ? アル中なら、あなたたち大分苦労したでしょうね…。
僕 まあ楽しいこともいくらかありましたし、彼のお陰で沖縄で第二の人生が始められたんだと思いますよ。彼がいなければ、沖縄に来ることもなかったわけですから。

職員 この子は息子さん?

僕 ええ、この春から小学校です。おばさんに「こんにちわ」は?

息子 父ちゃん、この人おばさんじゃなくて、おばあさんだよ。

   「こら…」と息子を睨む僕。職員たちの笑い声が漏れる。

職員 まあ、坊やしっかりしてるわね。今、義理のおじいさん呼んできますからね。

 義理のおじいさんだった人? なんて言ったらいいのかねえ? 義理のおじいさんになったかも知れなかった人?

僕 何でもいいですよ。僕の昔の義父で、オジイサンでかまいません。

         去っていく職員。ナースセンター奥の面会室で待つ僕と息子。

         向かい合ったソファーと、その横に診察台がある。

         キョロキョロとあたりを見回している息子を僕はソファーに座らせる。

         職員に伴われて面会室に現れる柳茂。

N(ナレーション) 「ユーモアがあり、いくらか洗練されたところのある義父だったのに、六十代でもう髪は殆ど白く、痩せて顔色も悪い。目の焦点が合わない。魂が抜けている…、アル中から精神障害に移行しているなと直感せざるを得なかった。ごく事務的に、短い時間だけ、感情を押えて必要な話だけをしようと僕は思っていた」

         職員に促されて、僕と息子の向かいのソファーに腰かける義父。

僕 どうも、こんにちわ。お久しぶりです。これは僕の息子。

柳 はあ…。

僕 (息子に)オジイサンに、こんにちわは?

息子 オジイサン、こんにちわー。

柳 ……(ぽかんとしている)

僕 何か困ったことない?

柳 何は?

僕 必要なものとか、みんなある?

柳 この人は(傍の職員に)誰かね?

職員 何言ってるのよ。別れた奥さんの子供さんなんでしょ?

柳 ?…(首をひねる)

僕 フユキだよ。あれから十六年たって、三十一才だけどね。

柳 あんた、フユキと双子ね?

僕 …双子? 違う、本人だってば。フユキだよ。

柳 おかしい、似てるなあ…。(傍の職員に)じゃ、もう行っていいかね?

職員 (僕に)いいんですか?

僕 ええまあ…、じゃ体に気をつけて…。暫く北陸のK市に引っ越すから。

柳 北陸のK市?

僕 僕が生まれたところだよ。あちこち引越しながら、一緒に暮らしたじゃない。そ

 こに戻って資格取ったりしようと思うから…。五年か十年かわからないけど。お元気 で…。

柳 …あんたやっぱり双子ね?

僕 本人だってば、僕だよ。

         何度も首をひねりながら去る義父。

         ナースセンターを横切り、ドアを開け薄暗い病棟のディルームへ去るのを職員と息子と僕が見送る。

N 「そして不思議な涙がこぼれた。逞しくて、頑固で、酒飲みで、ギターを弾き、ブロック工の良い技術を持っていた一人の男の末路だった。アルコール依存症特有の幻覚妄想に苦しみ、何度か自殺を図り、長い入院生活の末に老いさらばえて、ここにいるのだ。野球やら剣道やら、花札やトランプを教え、仕事にも遊びや外食にも家族全員を連れ歩いた一人の男が、この停止した時間の中で前にも後にも進まない年月を送っているのだ」

         「父ちゃん悲しいの?」と僕の顔をのぞき込む息子。

N 「とても寂しく…、口惜しく…、虚しいのだ、と僕は心に呟く。人間というものは、人の一生というものは、何と頼りなく不確実なものだろう…。もし人生が神仏あるいはDNA的な何ものかによる意図で運命が決定しているのだとしたら、あまりにも残酷で悲惨な結末ではないだろうか。僕は、それでも義父のことがとても好きだったのだ…」

         面会を聞きつけて現れる若い看護婦。

看護婦  本当にいたんだ。あ、わたし金城といいます。あの、いつも柳さん言ってるんですよ。消防署通りに子供のフユキとマチコがいるって。

僕 フユキです。あの、担当の看護婦さんですか?(涙を拭う)

金城 ええ、そうです。あー、本当だったんだ(嬉しそうに笑顔)。

僕 あの…、様子はどうなんですか?

金城 おとなしい人ですよ。一度ここから出せって暴れたことはあったらしいけど、

 かなり前のことでわたしは知らないんです。

僕 入院して、十六年ですね…。アルコール性の精神障害ですか?

金城 まあ、そう思っていいんじゃないかしら。

僕 義父に弟がいるんですけど。

金城 ああ、そうよね。でも殆ど連絡はないのよ。あの、マチコさんっていうのは?

僕 姉です。姉も、もう結婚して子供が二人います。

金城 別れた奥さんは?

僕 すぐ再婚したんです。沖縄の人と。

金城 そうですか、柳さんの頭の中だけが昔の家族のままなんですね。家族はそれぞ

 れ新しい人生を送ってるのに…。

         ナースセンターのカウンターに紐つきで置いてあるライターで煙草の火をつける柳茂、その顔がこちらを向いたが、その目はどこか遠いところを見ているよ うだ。

金城 この子は、あなたの子供さん? 坊や小学校?

息子 六才。ぎのわんようちえん。

金城 幼稚園?   じゃあ、来年は小学校に行くのね?

僕 それが四月からK市で、新入学する予定なんです。それで、当分は沖縄を離れる

 ことになったもんで、この住所(僕は準備してきたメモを取り出す)を渡しておきたいと思いまして。(看護婦に手渡し)もし柳茂に何かありましたら連絡して欲しいんですけど、よろしいですか?

 

         「ゆすいで下さい」という看護婦の声。

         血のついた歯科医師のゴム手袋が僕の左手の方を指差す。

         温湯を口に含み傍の陶製の含漱台に吐き出すと、白い台に僕の血が赤く滲む。

         口の中で折れた歯の欠片が、カチリと排水口に引っ掛かる。

 

 しかしもし何かあったとしても、義父の弟に連絡がいくだけで、こちらに連絡は来ないという気がした。義父の弟は僕の母をすごく憎んでいる。彼にとって兄をこんな風にしたのは嫂である僕の母のせいなのだった。弟の柳淳は母以上に気性の激しい性格である。とある事件で逮捕され、刑務所に入っていたが、今は釈放されている。ひどく愚かな事件ではあり、奇妙で不条理な要素を含んでいた。彼はその極めて低い偶然性によって殺人犯から傷害罪で済み、相変わらず今も小説家を夢見つつ、工事現場などで働いたりしながらこの社会で生きているに違いない。彼の詳しいことは、次章以降に綴ろう…。一つはっきりと言えることは、僕は義父の弟でかつての叔父である柳淳のことが、とても嫌いだった。

 

 僕はその日の治療を終えて、木村歯科の階段を降りる。夕陽が中山医院に当たり、その古い壁を鮮やかに赤く照らしている。近くの自動販売機で、熱い缶コーヒーを買ってその場で飲む。抜いた歯がズキズキとまだ痛む。下唇が局部麻酔で麻痺しているので、口から零さないよう注意して飲み込む。もし沖縄の病院で義父に会ったのが最期になるのだとしたら、この中山医院の病室で彼と会い二十二年後に彼の入院する病院で別れるのである。奇しくも病院で出会い、病院で別れるわけだろうか…。それにしても以前の身内が、今はもう遠い親戚ですらない。かつての義父が、或る日遠い沖縄の病院で死んだとしても僕は知ることもできないでいるのだろう。でも僕は自分の家族にK市を見せたい思いと同時に、たぶん実父に導かれて戻って来た気がする。三十三回忌は一つのステップに過ぎなかった。実父や義父、または母や全ての過去の思いに決着つけ訣別するには、三十八才という今の地点がこの『柳茂家の不条理劇』を振り返る良い機会だ。三十八才の等身大で遡ることができるからだ。舗道の雪がシャーベット状に溶け始めていて汚い。ゆっくりと僕は歩き出した。缶コーヒーを飲んだせいで、歯茎が更にズキズキと痛み出していた。                                                      -了-


      
◇◆◇◆作者紹介◇◆◇◆

 

           森田  義之(もりたよしゆき)

 

               金沢市在住   三十八歳

               看護士

               二男一女の父

               毎月、家族新聞を発行中
            (平成9年当時)

               


  フンダリケ☆☆☆旅行記

  暮れも押し詰まったある夜のこと、「お正月に初詣でに行こうか」の主人の一言で、いつものとんでもない計画が始まった。

 私は何度か、主人の突拍子もない、人が聞いたらあきれる

やら笑われるやらの、この手の計画につきあわされている。最初聞いたときはいつも反対するのだが、毎日のように同じ計画を聞かされているとつい乗ってしまい、私もその気になり実行ということになるのである。

 ところで、今回の計画は12月31日のお昼に京都を出

て青春18キップを使って出雲大社に行こうというのである。

「帰りには城崎温泉に入って、おいしいカニ料理を食べさせてあげる。そうすればあんたの乗りたいと言っていた山陰線にも乗れるし、餘部鉄橋もみえるよ」という甘い言葉に、例のごとく最初は反対していたこの計画にまたまた乗せられてしまった。

 31日、午前中の仕事を終え帰ってくると、お茶を飲む間もなく主人にせきたてられいざ出発。12時14分三条発の京阪で七条まで、七条から京都駅まで歩いて12:55京都発園部行の電車に、いよいよ旅の始まりである。京都駅で駅弁千円と青春18キップ一万一千三百円を買う。

 ところで青春18キップとは5枚綴り11,300円で、一枚2,260円で一日中(午前0時~翌日の午前0時までの二十四時間)普通列車でどこまで乗っても同じ値段、乗り降り自由というとても安いキップである。私たちは何度かこのキップ一枚で、それもたった2,260円で京都から鹿児島まで鈍行を乗り継いで帰ったことさえある。

 13:50園部着。13:58発福知山行に乗る。天気はいいし、田園風景を眺めながら大晦日とは思えないのんびりとした鈍行の旅である。暮れの忙しい仕事から開放されてこの時ばかりは出てきてよかったと思う。

 何度か電車を乗り継いで18:56鳥取駅に着く。乗り換えの電車を一本遅らせ一度外に出てそばを食べる。21:47米子駅に。山陰線に乗るのは始めてなのでめずらしい駅名や景色をながめているうちは楽しかったが、日が暮れてかれこれ十時間近く電車に揺られているとさすがに疲れが出てくる。

 22:33米子発出雲大社口行の電車に乗る。これでようやく出雲大社に、ずいぶん遠くまで来た気がする。電車の中で、「早く着いても仕方がないから駅からは歩いて行こう」と主人が言いだした。私は仕事が忙しく何の予備知識もなかったので、主人の言う通りにすることにした。下調べが済んでいると思って安心して任せていたのだ。それが間違いのもとだった。

 車掌さんに「歩いて出雲大社まで行こうと思うのですが出雲市と出雲大社口とどちらで降りたらいいですか?」とたずねると、車掌さんはずいぶんと考えこんでいた。結局終点の出雲大社口まで乗ることにする。他のお客は全部出雲駅でおりて終点まで乗るのは私たち二人だけ。最後にまた車掌さんが来て「やはり歩くんですか」と笑いながらいわれる。

 23:44出雲大社口駅に。田舎の小さな無人駅で誰もいない。少々不安になってくる。たまたま、駅を出たところに車の人がいてその人に道を尋ねると、

「ここは新しくできた駅で出雲大社まではずいぶん遠いですよ。出雲大社口とあるので駅名では出雲大社に近いと思ってしまいますよね」とここでも笑われる。

 この人の話では一時間くらいで着くという事なので、暗い田舎道を歩き出す。予定では朝まで出雲大社にいて一番の電車に乗ることになっていたので、時間はたっぷりある。しばらく歩いていると除夜の鐘が聞こえてくる。除夜の鐘を聞きながら、

「何で今頃こんなところを歩かんとあかんの。家にいたらおいしいものを食べて暖かいところでゆっくりできたのに、ついてこんといたらよかった」と、ブツブツ文句を言いながら歩く。主人は笑っている。

 だんだん腹が立ってくる。安心して主人に任せた私が馬鹿だったと思うが後悔先に立たずである。とにかく歩いていくしかない。

 私は主人の言う通りにしてとんでもない目にあったことが何度もある。自転車で西国参りをしたときなど、私が「トンネルは車にひかれそうで嫌いだ」と言ったら、トンネルをさけてくれたのはいいが、そのおかげで何時間も訳の分からない山坂を走ってやっと本道に出てきた。おまけにその時はじゃじゃぶりの大雨だった。

 苦しくて大変になってくると私は腹が立ち、怒り出す。が、主人は大変な時ほど元気が出て楽しくなる人間なので、そんな時は、一生懸命私をなだめて元気づけようとする。それで、いつも私はひどい目にあわされて怒り出すのだがケンカにならない。もう一つ、これは自分に腹が立つのであるが、しんどい事や、主人を信じてとんでもない目にあったことをすぐに忘れてしまうのである。

 さて、駅を出てから一時間以上歩いた。方向としては出雲市駅に近いようだ。ようやく標識があり出雲大社八キロとある。ここから八キロだとまだ二時間もかかる。うそだ。さっきの人は出雲大社口駅から一時間と言ったのに。主人は「標識の距離はあてにならない、そんなにないと思う」と言うけれども、最悪あと二時間も歩くと思うと嫌になってくる。

 標識からしばらく歩くと車がどんどん私たちを追い越していく。二十分程すると車の渋滞が始まる。初詣での車のようだ。渋滞が始まるまでは電話ボックスがあればタクシーを呼んでもらおうかと思っていたが、この渋滞では歩くしかない。覚悟を決めて歩き出す。汗が出るほど早足で歩いて午前二時やっと出雲大社に。すごい人と車である。

 どっと疲れくたびれ果てて座っていると、可哀想に思ったのか主人が走り回ってたい焼きやお茶を買ってきてくれる。一息ついてお参りに。ライトアップされた大社は幻想的でとても美しく、お伊勢さんとはまた違ったおもむきがある。とても気持ちが引き締まる。さっきのしんどかったことも忘れて来て良かったと思う。

 あちこち歩いたあと私鉄の駅のベンチでしばらく横になる。若い子が集まって騒がしくなってきたので、出雲市駅に行くことにする。大社前からタクシーで出雲市駅に。けっこう距離があり料金は二千五百四十円、始発まで時間もあるし懲りずに帰りも歩こうかとちらっと思ったけれど、車に乗ってみて歩かずに良かったと思う。

 鈍行で行くと途中乗り継ぎの電車がなく、最初の約束通り城崎でゆっくり出来ないので6:03の特急で松江まで行く。松江からはまた鈍行を乗り継いで11:28城崎へ。外湯の温泉に入ってゆっくりと疲れをおとす。おいしいものを食べさせてくれるといったがお正月でたいていの店は休み。探し回ってやっと開いていたお好み焼き屋へ。カニ入りのお好み焼きを食べる。お好み焼きにはうるさい私の口にはあわず。ガッカリ。

 城崎には外湯がたくさんあるので、もう一つ入ろうかといわれるが、とてもそんな元気はなく、ビールとちくわを買って駅へ。特急だと二時間あまりで京都に着くのだが、またまた14:57城崎発の鈍行に乗って19:11京都に。電車の中でブーブー文句を言う私に主人曰く、「温泉にも入れてやったやないか。カニも食べさせてやったやないか」と。

 入浴料三百円の温泉に入って、お好み焼きにちょこんとのったカニと、駅弁のカニ弁当を食べさせてもらって18キップの初詣での旅は終わった。

 私の経験から皆様にご注意を申し上げます。

 出雲大社にお参りなさいます時は、くれぐれも出雲大社口駅で降りずに出雲大社市駅で降りて下さい。

 多分主人のように、下調べもせずに歩いて行こうという人はいらっしゃらないとは思いますが。

 

 なお、しめて今回の旅行費用は総額二万六千四百七十円也。五枚綴りの残りの一枚は後日、主人が東京から京都に帰ってくるのに使いました。

 

 ある人曰くー

          青春18キップは若者が使うもので、

          これを使う年寄りは馬鹿者だそうである

 (因みに、不幸のあった翌年は初詣には行かないそうで、

  去年、妻は父を、私は叔母を亡くしています。

  しかし、行った後でそのことに気づいたのでした。

            ―――夫  談)


                        


   夢のお話  その壱・その弐


    ーその壱ー            

 

  或る朝、小さな叫び声とともに目を覚ました。

  (逃げなければ!)

  泌み出す額の汗を拭いながら、
  本気でそう思った。

  ぼんやりと当方を見つめている妻の顔を見て、

  初めてそれが夢であったことを理解した。     

 

 街道と交差する小路を山へ向かって登って行くと山門が表われ、そこが道隆寺の入り口となっていた。回りは田畑に囲まれて人家もなく、山門からはなだらかな傾斜が遙かな海まで続いている。山門から少し下ったところに門前町があり、小路の左右に街道まで続いていた。

 夏の終りの日差しを避けて、きちぞうは山門の蔭に腰を降ろした。遠くにかすむ海を見やりながら、自然と笑みがこぼれる。そのまま静かに眠りに入って行けそうな心地良さの中、涼しさを運んでくる風に暫く身を任せていたきちぞうの視界の中に、山門へと続く参道を歩いてくる白い着物姿の女が認められた。

「今日は」きちぞうは立ち上がって、女に声をかけた。

「あら、きちぞうさん、こんにちわ。」

「暑い中大変ですね、お参りですか。」

「ええ、主人の月の命日だったんですけど、出かけるのが遅くなってしまって………。」女は山門の作る日蔭の中で、あふれ出す汗を拭った。

きちぞうさんは、和尚様に御用事?」

「ええ、やっと入山が許されまして。」

「まあ、それはおめでとうございます。念願が叶ったんですね。」

 女の名は白蓮と言った。本当の名は別にあるらしいのだが、誰がそう呼んだのかは知らないがきちぞうはその名しか知らなかった。

「まあ、海がとってもきれいに見える。なんて気持ちの良い眺めなんでしょう。」白蓮は吹き渡ってくる風を受けながら、登って来た方を見つめていた。

 きちぞうはその横顔を見つめていた。端正な顔、優雅な曲線を描く小さな輪郭の中に、全ての部品は美しくその存在すべき場所に位置を占めている。二十のきちぞうより二つ年上である白蓮は、少女の面影を残しながらも、不思議な怪しい、女の匂いを漂わせていた。

「それで、いつからお寺にお入りになるの。」

「秋のお彼岸が終った頃だと思います。」

「そう………。」といったまま、白蓮の瞳はきちぞうに向けられたまま動かなかった。

「寂しくなりますね。」

 白蓮の大きな瞳は彼女の美しさを引き立たせるものであったが、きちぞうに向けられたその瞳の黒い部分は、抗し難い力をもって急速に大きさを増し、やがてきちぞうの総てを飲み込んでしまうかのように感じられた。息苦しさを振り払うように、やっとの思いで視線を外して、

「これから近江屋さんにもご報告に行こうと思っています。」

「そうですか。きっと御二人ともお喜びになると思いますわ。

 でも、お寺に行かれる前に、ぜひ一度私のところへも遊びにいらしてくださいね、きっとですよ。」そう言うと軽く会釈して、白蓮は山門の向こうへと消えていった。

 

 「それは、それは、おめでとうございます。」

「いや、近江屋さんのお陰です。近江屋さんの御口添えのお陰で、和尚様にもお許しが頂けたのですから。」

「そんなことはありますまい。道隆寺の白山和尚と言えば、それはもう立派な方ですから、きっときちぞうさんの熱心さを見込んでのことだと思いますよ。」

きちぞうさんも、いよいよお坊様ですね。」お茶をもって入ってきた妻のしのは主人の弥兵衛の傍らに座って、静かきちぞうに微笑みかけた。

「ええ、何とか。

でもまだやっと入り口までたどり着いたと言うところですか。」

「私共夫婦も、白山和尚のお傍で暮らしたいと思いまして、表通りの店をたたんでここへ隠居して十年になりますが、あんな立派な和尚様はいらっしゃらないと、つくづく思いますねぇ。」弥兵衛は目を細めながら語った。

「私もあの方にお会いするまでは、ただ仏教に対する憧れだけでしたが、あの方にお会いして、どうしてもお坊さんになりたいと思うようになりました。」

「そうですか、そうですか。きちぞうさんなら、きっと立派なお坊さんになられるでしょうなあ。

 ところで、お家の方々には何と?」

「今まで好きなようにやってきましたし、今回も何も言わないと思いますが、せめて恰好だけでも一人前になってから訪ねて行こうと思っています。」

「そうですか。それじゃあ、白山和尚と相談の上で、必要なものを揃えさせて頂きましょう。」

「それは困ります。これ以上ご迷惑をおかけするわけにはまいりません。」きちぞうは、弥兵衛の申し出に驚いて首を振った。

「いやいや、これは私達の功徳になることですから。

 どうぞ御布施だと思って受け取ってください。」

「そんな。私はまだ海のものとも山のものとも知れぬ身でございますから。」

「あの白山和尚のお弟子様になられるのですから、功徳も大きいと言うものです。まあまあ、ここは老い先短い年寄りの為だと思って。」

「そうですか………、どうも申し訳ありません。それでは、お言葉に甘えさせていただきます。」きちぞうは二人の前で深々と頭を下げた。

「それよりきちぞうさん、今夜家へいらしてください。何もできませんが、お祝いをいたしましょう。なあ、婆さんや。」

「何から何まで、本当に申し訳ありません。」きちぞうはただただ頭を下げるだけであった。

「それでは、また夜にお邪魔します。」余りの厚意に身も縮む思いで、きちぞうは挨拶もそこそこに、近江屋を後にしたのだった。

 

 通りに面した格子窓を少し開け、白蓮は表通りを見つめていた。近江屋からの帰り道、きちぞうがこの前を通るはずだった。手持ち無沙汰に着物の裾に這わせた手が悪戯に着物を弄んでいる。表に注がれた瞳の黒い部分は、ギラギラと輝きながら次第にその大きさを増していった。

 黒目の拡がりがその瞳の中で極限にまで達した瞬間、通りの一点に集中した彼女の表情から総てのものが消えた。やがて一転した柔らかな表情が戻ってきた。そして、白蓮は立ち上がった。

 

 「きちぞうさん!」背後から声をかけられて、きちぞうが振り返ると、小さく手を振る白蓮の姿があった。

「近江屋さんからのお帰り?」微笑んで尋ねる白蓮。

「ええ。」

「今日は、これからどうなさるの。」

「家へ帰るだけなんですが、夕方にはまた近江屋さんを訪ねて行こうと思っています。」「そうですか、それじゃあ家へ寄ってらしてくださいな。」

「ええ、ですが………」一瞬白蓮の瞳を見たきちぞうであったが、すぐに視線を落として後の言葉に窮した。白蓮はそんなことは意に介さずに、

きちぞうさんとお話する機会も、もうないかも知れません。ぜひ一度、ゆっくりとお話してみたかったんです。」訴えるような、白蓮の濡れた瞳の輝きを前に、きちぞうに抗する力は残っていなかった。

 

 きちぞうを家の中に招き入れ、席を勧めた後白蓮は御勝手に入っていった。暫くはポケッとして部屋の調度などを眺めていたきちぞうではあったが、「お茶を」と言って姿を消したままなかなか戻ってこない白蓮のことが気になってきた。耳を澄ますと微かにすすり泣くような音が聞こえてくる。きちぞうは立ち上がって御勝手へ歩いていった。

「どうしたんです、何か心配事でもあるのですか?」台所の隅で小さく肩を震わせている白蓮を見つけたきちぞうは、驚いてそう尋ねた。

「いえ、何でも、何でもないんです。」

「じゃあ、何で泣いているんです。良かったら、私に話を聞かせてください。」

 白蓮はきちぞうに背を向けたままでいた。暫くの沈黙があって、

きちぞうさんともう逢えなくなるのかと思うと………、」ここまで言って言葉を途切れさせた白蓮は、振り向くとそのままきちぞうに走り寄りその胸の中に身を預けた。

「白蓮さん………。」刺すように肌を熱くする吐息、鼻の粘膜から入り込み脳はおろか全身までもとろけさすような女の放つ総ての匂い、そして首筋に女の涙の熱さを感じた時、その両腕の中で小さく震えている女の背に回した手に一層の力が込められた。やがて唇が唇を求めた。

 

 「どうしてあんなことをしてしまったのだろう。」

 自分の家へたどり着いたきちぞうは部屋の中に大の字になって、白蓮との突然の情事を思い出していた。それは抱きしめ合い唇を合わせただけのものであったが、その温もりの余韻と体に染みた残り香とを心地よく思っている自分の中の一部が許せなかった。

「坊さんになろうとしている身なのに。」女の香りがきちぞうの鼻を刺激する。きちぞうは慌てて意識をほかのものに向けようと努めた。

「寂しくて堪らないんです。主人も亡くなって、その上、きちぞうさんまで遠い人になってしまう。」誰を頼りにしたらいいのか、と涙ながらに泣く白蓮、どうしてもそこに戻ってきてしまう。

「主人の残した借金が有ることがわかったんです。」と白蓮は言った。

「お金のことは私にはどうしようもないですが、近江屋さんに頼んだらどうでしょう。」ときちぞうが答えると、白蓮は涙を拭きながら微笑んで、

「いえ、お金のことはどうにかなるんです。ただ、誰かに話を聞いてもらいたくて。」といった。

 白蓮の涙はきちぞうにとって大きな驚きだった。近所のお年寄りや困っている人の世話を進んでしている彼女は、そのために極楽に咲く白い蓮の花のように美しい人だと仇名されていたのである。「主人の供養になれば」と、お礼の言葉にも笑ってそう答える彼女に涙は無縁のものだった。

「白蓮さんを助けてあげよう。何もできないけれど、せめてお寺に入るまでは、元気づけてあげよう。

 よし、近江屋さんに頼んでみよう。白蓮さんを娘のようにかわいがっている近江屋さんのことだから、きっと力になってくれるはずだ。」自分の言葉に気を良くして、きちぞうは一人うなづいた。そしてその時点で大方の問題は解決してしまったのだった。

 

 「こんばんわ。

 近江屋さん、こんばんわ、きちぞうです。

 こんばんわ。」雨戸のしまった近江屋の前に立って、きちぞうは幾度か中に向かって呼びかけたが、何の応答もなかった。辺りには夕闇が迫っていて、近所の家々にはそろそろチラホラと明かりが灯りはじめていたが、近江屋の店の中は、表から見る限りにおいては暗くて静かだった。

 きちぞうは三軒先の角を曲がって裏道へ入った。そこから小筋を通って近江屋の裏口へと回り、そして中へと入っていった。木戸をくぐって中のほうを覗くと裏庭に面した障子の奥のほうにぼんやりとした光が感じられた。

「こんばんわ。」きちぞうは小さく小声で呼びかけてみた。しかし、何の反応もない。

「こんばんわ、近江屋さん。」相変わらず何の反応もなかったが、薄ぼんやりとした明かりが少し揺らめいたように感じられた。きちぞうは妙な胸騒ぎを感じて、縁側に飛び上がり障子を開けた。明かりはその奥の部屋から漏れていたものだった。きちぞうはその障子に手をかけた。

 

 「あっ!」きちぞうは思わず息を呑んだ。ゆらゆらと揺れるろうそくの明かりに照らし出されたものは、真赤な血潮のひろがりと、その中に突っ伏すように倒れている近江屋夫婦の姿だった。きちぞうはワナワナと体を震わせ、腰を抜かしてその場へ座り込んだ。

「近江屋さん、おっ、近江屋さん。」あまりの突然の出来事に、きちぞうは涙を流すことさえ忘れて震えていたが、やがて這うようにして弥兵衛の体へ近づいて行った。ヌルヌルと生暖かい血糊に手を触れた瞬間、きちぞうは再び後ろへ飛び退いてしまった。びくっとした大きな震えが再び体を襲った。

きちぞうさん」突然のことに、飛び上がらんばかりの勢いできちぞうは声のほうに体を向けた。

「なんて事を、なんて事を!」

「ちっ、違うんです、違うんです、白蓮さん!私じゃない、私がやったんじゃない。」震える声でやっとの思いでそういいながら、きちぞうは四つん這いに数歩白蓮のほうへと詰め寄った。

「ええ、私、きちぞうさんを信じます、きちぞうさんはそんな人じゃあない。」小刻みに身を震わせ、障子の桟にかろうじて身を持たせた格好で白蓮はきちぞうの目をじっと見つめたままそう言った。

「早く、早くお役人にこのことを。」

「ダメ、ダメです!」そういうと、立ち上がろうとしていたきちぞうの傍に走り寄り、白蓮はその肩に後から抱きついた。

「きっと、みんなきちぞうさんのことを疑うわ、きちぞうさんが犯人だと思ってしまう!ねえ、逃げましょう、一緒に逃げましょう。私、きちぞうさんのことが好きでした、ずっと、ずっと前から好きでした!」白蓮はきちぞうの耳元に唇を寄せて、ささやくような搾り出すような吐息をその耳に送った。

「火を、火をつけるのよ!

 火をつけて、みんな燃やしてしまえばもう何も残らなくなるわ。

 さあ、きちぞうさん、火を、火を 」

 

 震える手で、きちぞうは白蓮から差し出されたろうそくを手に取り障子に火をつけた。火は瞬く間に上へ上へと広がっていった。呆然と燃え広がる炎の勢いを見つめていたきちぞうを白蓮はせきたてた。

「さあ、早く、早く!!」白蓮に手を引かれるようにして、きちぞうは近江屋から逃げ出したのであった。

 すでに漆黒の闇と化した町の中を何処へ行く当てのないまま、きちぞうはただ白蓮に引かれるままに歩いていた。きちぞうの心は先へ先へと急ぐのだが、白蓮は決して急がなかった。彼女はきちぞうを押えるように非常にゆっくりと、普通の歩調で歩いた。

「火事だ、おい、火事だぞ!」

 突然の声に、きちぞうはびくっとして声のほうに視線を投げた。通りに面した家から飛び出してきた一人の男は、家の中に向かってそう叫んだかと思うときちぞうたちには目もくれずに駆け出していった。恐る恐る男の駆けていった方向にきちぞうは目をやった。天をも焦がす勢いで炎が町の一角を赤く浮き立たせている。微かに聞こえる半鐘の音に促されるように、一人また一人と通りを人が駆けて行く。炎に魅入られたように震えているきちぞうの手を白蓮は握りしめて、「さあ、急ぎましょう。」とだけいった。やがて白蓮は川沿いへと出て、川原の草の中を進んだ。もう人目につく心配はなかった。

 「ここまで来ればもう誰にも見つからないわ。」町はずれの橋のたもとまで歩いてきた時、白蓮はきちぞうを促して座らせた。

「ああ、なんて事を………、」きちぞうは両手で顔を覆って泣いた。何がどうなっているのかも分からない、ただ最終的に近江屋に火を掛けてしまったのは紛れもなく自分だった。

「泣かないで、きちぞうさん。私がついています。

 二人で一緒に逃げるのよ、何処までも、何処までも。」白蓮はきちぞうを包み込むように抱き占め、そのまま二人の体は倒れ込んでいった。きちぞうはその体を退けようとした、しかし白蓮の力は意外にも強く、その身体の温もりと熱い吐息は、自責とか恐怖とかいった全てのものを彼の中から取り払ってしまった。代わってこう惚と快楽とが白蓮の手によって彼を別の天地へと運んでいったのだった。

 

 夜が明けていた。きちぞうは寝惚けた目を擦りながら起き出して辺りを見渡した。そこは朝もやの立ち込めた橋の下であり。辺りには誰もいなかった。

「昨夜のことは夢じゃあない。………でも、白蓮さんは何処に。」見回しても誰もいない、ただ静寂があるだけだった。

 しばらく呆けたように座り込んでいたきちぞうだったが、静かに立ち上がって川の方へ歩いていった。そしてしゃがみこんで水をすくおうとして両手を伸ばした時、彼はその両手に乾いた血糊の跡を見たのであった。何かで頭を殴られたような衝撃が彼の身体の中を走った。そして昨夜の、あの光景が彼の頭の中を駆け抜けた。きちぞうは狂ったように泣きながらその手を洗い続けた。そしてそのまま突っ伏すようにその場に倒れ込んだのだった。

 暫くの時間が流れた。泣き疲れたきちぞうは未だ肩を震わせていたが、ふと冷静さをわずかに取り戻した頭の中に、ある疑問がわいた。